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マイズナーワークショップについて③

前回、
「観察することはできるけれど、反応するのが難しい、とたくさん俳優を見て思う。
社会性を取り払った、正直な反応が。」
と書いた。

「自分で制限をかけないためには
『その制限を外しても大丈夫』と安心できる環境が必要。」
とも。

そのために、WSで僕がサジェスションするときに基本的に批判をしないようにしているし、
自分を出すことをエンカレッジしている。
安全な環境でリスクを冒して飛び込んでもらえるよう枠組みを考える。
他にも、俳優が習慣的に畏まってしまう行動をさせないようにしている。
たとえばWS内での「よろしくお願いします。」や手を組むのを止めてもらうこと。
これは僕の先生の木村早智さんがやっていることを取り入れている。
俳優が自分の力を発揮するために、
畏まって小さく縮こまってしまうのを止めさせるために。
自分を抑える習慣から離れてもらうために。

正解や間違いはないし、
間違えてもいい。
第一、講師の僕がよくまつがえる。
失敗したっていい。
失敗や批判、拒絶や馬鹿にされることから自由になったとき
人は本来の輝くような魅力を発揮する。
俳優もそうだ。


もちろん挨拶や礼儀はとても大事だし、
欠いてしまうとやがてそれは自分にはねかえってくる。
だけど、なぜそれが必要か考えもせず習慣のようにやっていたり
そしてその行動が(知らないうちに)自分のクリエィティビティを制限してしまっているのだとしたら、
一度よく考えてみたほうがいい。

俳優をなぜやるのか?
なぜ演技なのか?
なぜ演劇なのか?あるいは映像なのか?

僕ら俳優は人間をやる。
(まぁときにロボットだったり、動物や人外の役もあるけど)
基本的に人間の営み、人間が生きる様を演じる。
俳優を演じるのではない。
俳優が人間をやるのだ。
人間でいて欲しい。

言うなれば、僕らは演劇や映画で人間(性)というものをやって見せている。

なのに、その作品を作るために人間性を失ってしまうとしたら本末転倒に思う。
(だからこそ、パワハラはあってはならない)
まるで子どもの幸せを願ってる親が過度のコントロールをし過ぎて、子どもの自立心や感受性、素直に愛情表現をする力を壊してしまうみたいに。
そんなの悲劇以外のなんでもない。

伸びやかな、弾むような心を持った俳優が見たい。
僕自身そうありたい。

そのために、僕はどう言葉をかければ良いか、
どう環境を整えていけば良いか。

まだ上手くいかないこともある。
毎回、学ぶことがある。
自分の経験や感覚ではいけることが、他の人にはいけないことがある。
そのたびに考え直す。

ありがたいことにこの世界には最高に素晴らしい先生が多くいて、
僕は幸運にも彼らに出会えた。

だけど、僕の答え(あくまでもそのときの暫定的な解)は僕が見つける。





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RADAのスタジオシリーズ(またの名を、内容とは全く関係のない写真シリーズ)中はこれまでの部屋と違って「地下牢か?」みたいな気分にさせる、地下の部屋だった。かつてはセラーだったのかな?



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